南伊豆へ
6月は アジサイの美しい季節。
花の色も 今では 多種多様にあり、 何処に行っても 楽しく鑑賞することが できます。
うちの路地にも かわいいのが咲いています。
お向かいさん家のお父さんが丹精込めて増やしていらっしゃる紫陽花を、朝 二階の窓を開ける
毎に 目にすることができて「うぁ~きれい!」と 感謝の目覚めで一日が始まるような気がします。
さて
両目の手術も無事終えたし また何処かに行きたくなりました。
6月18日(日)
朝7時の新幹線で東京へ。乗り換え 「踊り子号」で伊豆急下田に着いたのは もう 昼過ぎでした。
下田の「観光案内所」は 駅の中にはなくて 徒歩5分 以上かかる。午後の行程が 巧く運ぶかどうか 問い合わせしてみます。
「石廊崎クルーズ」は 波浪欠航のため諦め、とにかく「石廊崎オーシャンパーク」行きの
東海バスに乗りました。
「伊豆急下田」駅は 我が北陸と違い やはり南国な感じですねぇ。
下田駅4番のりばから 路線バスに揺られて 1時間
オーシャンパークの 広ーい駐車場の一画が 終着のバス停です。
ここは 伊豆半島の 南端にあたります。
「南伊豆ジオパークビジターセンター」
館内には カフェやおみやげ 完備
「ここから 石廊崎灯台まで 遠いんですかぁ?」
「.... 10分もかかりませんよっ」
と言われて 気を取り戻し歩き出しました。
(ここの コインロッカーは 無料*^_^*)
整備された半島の林の中、多様な草花を 見つけながら行くと
疲れも 気にならなくなります。
石室神社(いろうじんじゃ)の鳥居
神社は 脇道を ずっと下った海岸にあるようです
見えてきました 「石廊崎灯台 いろうざきとうだい」 です。
本州本土の最南端、伊豆半島の石廊崎に立っています。
明治4年(1871)に イギリスから来た建築士ブラントンによって建てられ
当時は木造であったが 台風で大破したために 昭和8年にコンクリート建てに
といった 歴史があります。
灯台の脇道を下に降りていくと 石廊崎突端に熊野神社があるのだと。
しかし
降りてはいけるけど、 帰り あがってくるのが しんどいと思った。
現在は 白いタイル張りの灯台です。
伊豆七島(大島・利島・新島・三宅島・御蔵島・式根島・神津島)は
今日は 曇って見えませんでした。
ここで引き 帰ります。
下田行きのバスに乗り 途中、休暇村バス停で降ります。
そこに 「弓ヶ浜」 があるのす。
白砂・青松が美しい海岸で、日本の渚百選に。
1.5Kmにわたる松林が周囲の雑音を遮る日本一の癒やしのビーチ。
6月から8月にかけて アカウミガメが産卵に訪れる場所でもあります。
弓形に弧を描く海岸である 「 弓ヶ浜 」
日曜日、午後5時、人がまばらに。 海びらきは まだなんですねぇ...
6月19日(月) 晴れ
梅雨の空 なので尚更に 天候が気になります。晴れ間が広がってきて うれしーい。
今日は 下田に行って 日本一の数を誇る 「下田公園あじさい祭り」に行ってこよう。
宿の送迎バスで 下田公園駐車場につきました。
ここから石段を登っていきます
上った先に
「これ以上ダメ...」と言う高齢者に やさしいカートが巡回しているのを見て
すかさず 順番待ち、 乗せていただいた。
楽して 「開国広場」まで いけた。
「 開国記念碑 」
山の中腹くらいの 広場から「おおー」と 見上げる
開国記念碑の 左手に 更に上っていく道が 整備されていて
歩きやすく
両サイドには 今が盛りとばかりに自生する 紫陽花が 咲き競っていました。
下田港や 下田市街が眼下に 眺望でる 見晴らしのいい場所に来ました。
あじさいテラス カフェは ジュース オンリー露店。 売り切れ次第終了と。
もう 暑くて喉渇いたので そこのベンチに。裸の兄ちゃんたちが売っていた。


この傘は 通りすがりの お嬢さんのです。
💜
アジサイの群生に 目を見張りました。 素晴らしい所です。
そして
長い山道を下りて 出た場所は、下田公園入り口だった。
「ペリーロード」 の方に歩きます。
明治・大正時代の建物、 中に入って見ました。
奥に蔵があり、ギャラリーになっていました。
ここがペリーロード。開国時 ペリーが往復 歩いた道だとか。
ペリーロード沿いの 川の上流の方から 了仙寺に入る。
それが、
この小さな川の分岐点に 何も表示がなく 行ったり来たり 迷いましたよー。
( 町の通りに正門が ちゃんとあった。裏門?からは入り見てから 出て来た場所が正門でした)



「了仙寺」 の境内
開国時の絵図が 掲げられていて 解りやすいです。
こんな場面が 繰り広げられて 日米下田条約
その話し合いの場所となったのが.このお寺。
寺の脇に回ってみました。
.
山手にも 敷地が広くあって お墓が ずらーっと上の方向に整然と沢山。
この寺は
徳川歴代将軍から朱印状が下賜されており
家紋は同じ 三つ葉葵なのだと。
敷地内 正門からはいって すぐ左手に
黒船ミュージアム があリます。
容赦なく 日が照っていたけれど 下田港の通りを歩いてみました。
魚の干物屋さんが軒を連ねて あります。
天日干しの魚、
今は冷凍にして 配送しているんだ とのことでした。
「ロープウェイ」の駅は
「新下田駅」
新幹線の駅があるのか? 知らない者はそう思ってしまう。?
金沢にも 「新西金沢」は北鉄の駅。JR「西金沢」と線路が並行した場所にあり
最初は 戸惑ったものです。
ゴンドラに乗って 河口の上空を 「寝姿山」 に 向かって上っていきます。
(女性の仰向けの寝姿に似ているということで この愛称で呼ばれている山)
「寝姿山展望台」 からは 下田港 の絶景が見渡せる 名所!
ヒレ長錦鯉
こんな山の上の 小さな池(ひょうたん池)に、ヒレの長ーい鯉が 優雅に泳いでいます。
日本の「錦鯉」とインドネシアの「ヒレナガゴイ」を掛け合わせた鯉で
国内数カ所しか泳いでいない 非常に珍しい鯉だそうです。
ほんとうに 神秘的 と思う。初めて見ました こんな姿をした鯉!
里の池に 連れて帰りたかったぁ.
冗談ですが
兼六園の 霞が池に 泳がせたら どうなりましょうか??
寝姿ブルー !
この紫がかった どこまでも 優しい青!
しっとりとして きれいです。アジサイの最高色だと思います。
「ここから 富士山が 見えます。」と 掲示板あり。
微かに みえた! ので スマホ ポチッと
この山には 「黒船見張り所」 幕末見張小屋が復元されてあります。
常時、番人(人形の)が望遠鏡で見張っています。
ペリー率いる米艦・黒船の来航は
鎖国による300年の長い眠りをさます 出来事、
当時の人々の思いは どうだったろう。。。。しのばれます。
午後5時 バスに乗り 「弓ヶ浜」に帰りました。
6月20日(火)
今日も 晴天
「たらい岬」まで 海側を散策する予定です。
しかし
途中まで来て?? あの左手の山の 海岸沿い 険しそう!!

近くで工事をしていた人に 聞いてみる。と
「お母さんの その足・靴では無理... 元の所に戻ってバスで遠回りしていくしかない」と。
バスの本数も そうないことだし よくよく考えて 諦めました。
今来た道 もどって バスで下田駅まで 直行。
「 伊豆急下田 」駅には 外にも中にも 座れるベンチが沢山あって
疲れた旅行者に やさしいと思います。弁当ひろげたりできるし。
「どこに行くんですか?」と
隣のベンチの人が話かけてきました。
下田に住んでいると言う人で あれこれ教えてもらえました。
14:18発の東京行き 特急サフイール踊り子2号に乗る
サフイール号は 最新の車体で本数も少ない。
今回 偶然に知ったのであるが、とても快適!
長い リクライニングシートを倒すと
寝心地が断然 ちがいました
陽光さしこむ天窓付である。
前回、3月に水戸偕楽園・千葉一周した時も 東京は通過点になってしまっていた。
今回、久し振りに1泊して ゆっくりしようと思った。
新しい 東京都中央卸売市場 「豊洲」に興味。
新橋駅前のバス乗り場1番から 豊洲行きが出ています。
ホテル12階の部屋から 豊洲市場が目の前にあり、
ゆりかもめが ひっきりなしに通過していきます。
これが 夜の新東京
右方向には 有明テニスの森 有明コロシアムが見える。
6月21日(水) 晴れ
東京の 行ったことないところの植物園 見てこよう。
昨日、弟に 「今、下田に 来てるいるんよっ...」と連絡したら
「もっと早くに...それじゃ...帰る晩 美味しいもの食べましょう 姉上」
ということになっている。
上野駅でJR常磐線に乗り換え 北千住に。そして 金町駅でバスに。
「水元公園」に着きます。
しかし
バス停 乗り越してしまい 歩いて戻ったので もうクタクタ。
この長い水路を見ただけで 「奥に 何があったんだっけ?」と 。
暑いし 荷物ありで 頭がボーッとしてきた。
タクシー拾って駅にもどる。
(水元公園の奥には 「オニバス」 が自生している とのことで
それ見たくて わざわざ ここまで来たのにー)
昼食は駅前の うどん屋さん。
午後、金子駅からバスで 「向島百花園」へ行きました。
江戸の町人文化が花開いた文化・文政期に造られた という庭園。
当時の一流文化人たちの手で造られた 庶民的で文人趣味豊かな庭である。
現在は都営庭園となり、国の史跡・名勝に指定されている。
受付の男性は、親切に 外まで出てきて 説明してくれました。

バスで 日暮里駅に・ 山手線で・ 東京駅に着き
八重洲口直結の大丸デパート13F
ここから 皇居が見えるのです。
ごちそうさまでした。
故郷の食材など いろいろお喋りしながら 楽しい夕時でした。
スポンサーサイト